今はないボーイスカウト愛知連盟の野営場が八百津にありました。それほど広い野営場ではありませんが、丸山ダムをひかえ、見下ろすとゆったり流れる蘇水峡を見る山の中腹がキャンプサイトです。
夏期キャンプの朝、テントが開けられ中からスカウトが首をのばし、国旗ポールの方を見ました。ポールに何も揚がっていないことを確かめると、いつものように寝袋をたたみ始めました。スカウトはP旗(ピーき)があがっていないかを気にしているのです。
P旗とは船舶の国際信号旗で、青地に四角の白抜きの旗です。港内で揚げられ「本船は出港しようとしているので全員、帰船されたい」という意味で、これを見た乗員は何をおいても船にもどらなければなりません。ある意味では、違った場面の始まりの合図です。
信号をその年の夏のキャンプのメインテーマと考えた隊長は、いろいろ調べているうちに船舶信号を知ったのです。ボーイ隊のスカウトにはP旗の意味を説明し、この旗が揚がるのを合図にハイキングが始まることを知らせてありました。しかし、スカウトにはその合図が何時揚がるかは知らせてありませんでした。この年のキャンプがひとつの物語でありゲームでした。夏のキャンプのテーマは「その朝、P旗があがった」に決めました。
スカウトはテントの前で食卓やカマドの他、縛材で信号塔をつくったりしながら時々ポールの方を見ました。みんな、これから始まる冒険にワクワクしていました。
三日目の朝、ついにP旗が揚がりました。スカウトは、手早く個人装備をまとめ、隊本部からこれから始まるハイクの3食分の食料を受け取りました。なぜ3食分かというと、キャンプ地をベースキャンプとする、1泊のハイクだったのです。今から、スカウトは先輩スカウトと二人組みの冒険の旅に出発です。
これが、名古屋67団に今も続く、第1回「リンツーハイク」の始まりの朝の話です。
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