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67団の伝説を 不定期ですがお届けまします。

第16話 67団先遣隊(更新2005年10月16日)
 山奥のキャンプ地に到着すると、必ず1台の車が停まっています。それを見つけると隊長はホッとします。ボーイ隊キャンプの先遣隊のT団委員さんです。Tさんは、いつも長期野営の先乗りして野営地の持ち主への挨拶、場所の確保などをしてボーイ隊の到着を待ち受けます。

Tさんは、元ボーイ隊の副長。仕事の都合で副長をやめ団委員になり、隊の活動を裏から支えています。ボーイ隊は、野営地に到着してトラックからテント、縛材、食料、炊事用具、工具ほかを降ろして、すぐにテントサイトの設営。これがいちばん疲れます。

そんな時の一杯のコーヒーは「うーん美味い!」Tさんは、じつにタイミングよくコーヒーを入れてくれます。じつは、67団の隊リーダーと団委員は、全員が自分用のガスコンロまたはガソリンストーブを持っています。初めは下見の時や雪中ハイクでコンビニで買ったカップのインスタントコーヒーを飲んだり、カップ味噌汁を人より早く飲みたいだけの理由で、一人また一人とマイコンロを装備しました。

そのため、食事の準備が始まるとテーブルは、コールマン、プリムス、EPI、キャンピングガス、MSR、キャプテンスタッグ(みんなメーカー名)などが並び、まるで展示会。Tさんもいつの間にかコンロを買いました。さらに、パーコレーター式のケトルを使って美味しいコーヒーを入れ始めました。これで決まり!「美味しいコーヒーはTさん」ということになりました。

そんなTさんは、重い病気になってしまいました。お見舞いに行くと病室にはボーイスカウトの仲間といっしょの写真が飾ってありました。あとで奥様に伺いました。Tさんは、定年退職したら好きなだけ「ボーイスカウトの奉仕ができる」のを楽しみにしていたそうです。きっと、写真を見ながら早く元気になろうとがんばったのだと思います。しかし、その甲斐なくTさんは、この世を去りました。

ボーイ隊のクロスカントリースキーのシーズンが来ると思い出します。深夜に、バスが到着すると周りは銀世界。一瞬のうちに寒気が体を包みます。歩き始めると、遠くにバンガローの灯りが見えてきます。いつも、Tさんがストーブに火を点け、部屋を暖めて待っていました・・

67団の専任先遣隊と挽いたコーヒー豆の本物コーヒーの始まりです。(その後、T団委員さんの奥様は、素敵な喫茶店を始められました)

第15話 ひるがのハエ騒動 (更新2005年9月17日)
標高900m、森の中を幅1m程の小川が流れています。今回のキャンプはまだ、誰も入ったことのない白樺やナラなどの高木の森の中で、気持ちのよい日ざしが差し込んでいます。正確には一度人が入っていますので天然林でしょうか。

場所は岐阜県ひるがの高原。名古屋から行くとおよそ車で3時間30分(当時)岐阜、関、美濃を過ぎ、つづれ道を上るとひるがの高原。ここにキャンプ場があり、さらにそのずっと先には高山市があります。

アウトドア・ブームの始まる少し前で、まだファミリーキャンプも飯ごうに焚き火、カレーライスあたりが定番で、みんな重い綿のA型テントを使っていました。それに混じって、ドームテントが出現する前の角型の少し派手目のナイロンテントが新鮮に見える頃の話です。

そんな頃でしたから、キャンプ場のマナーも定着する前で、夜遅くまで焚き火の前で大声で騒いだり、花火の音が聞こえるのが普通で、とてもボーイスカウトがキャンプする環境ではありません。しかし、ここの涼しさは格別で、夜になっても30℃を下らない名古屋からみると、ここは天国、グッスリ眠れます。

地主さんに相談しました。設備は何もなくてもいいんです。テントが張れて、近くに水場があればいいんです!「お願いします!」
在りました!キャンプ場から1kmほど離れた森の中。もちろん人が入ることは無い、電気はない、水道ない、トイレもない、ということで決定。小川の上流には人家ないので水はOK。トイレはもちろん穴掘ってボットン便所。そうだ、テーマは「開拓者は初めて森に入った」がいい。(かなり独りよがり)

快適なキャンプが続きました。3日目のことです。「隊長!来てください、テントの中にハエでいっぱいです」・・ハエくらいいるよナ・・しかし、入って見るとびっくり、A型テントの裏側(天井)がびっしりハエだらけ。なにせ、テント地が見えないくらいですから。急いで*蝿とり紙何本も買って来て、ぶら下げましたがあっという間にハエで真っ黒。

一人の人がやって来ました。「ハエ出てませんか?」明らかにハエの大発生の元がボーイスカウトのキャンプにある、といわんばかりにジロジロ目だけ動いています。「いえ、私たちにも理由がわかりません。生ゴミは出していません」2〜300m下った林の中に別荘があるに気がつきませんでした。

翌日、ハエの大群はどこかに行ってしまいました。これが、ひるがの高原でのキャンプの始まり・・でなく二度目の野営です。今でも、あのハエの大発生の理由は分かりません。ひょっとして、あれは殺人事件?・・

*ハエ取り紙:直径3cm、長さ6cmほどの紙製の筒の中に、幅5cm長さ90cmほどの粘着力のある紙が巻き込んであり、引っ張り出しぶら下げて、ハエ取りに使う。いわば、吊り下げ式のゴキブリホイホイ。

第14話 組長誘拐さる(更新 2005年8月19日)
 組長の誘拐の話です。いえいえ、○○組の物騒な話ではありません。今日はカブ隊の話です。これも古い話です。ある年のカブ隊の夏期舍営のことです。

朝のラジオ体操のあと、ふだん通り朝食、朝礼終わってモーニングゲームの説明をしようとする時に組長がいません、そして一通の手紙を受け取りました。「ぼくたちは、悪い人に誘拐されました・・赤い豆を落としながら行きます・・それを拾いながら、組ごとに追跡してください」組長たちの手紙です。
何メートルかおきに、赤く塗った空豆が小道に落ちていました。

組ごとに追跡が始まりました。しばらく歩くと遠くから叫び声が聞こえてきました。「助けて〜」近づいてみると、組長が大木に縛られています。手紙がありました。「T団委員長を預かった。助けたかったら、この道を進み、見張りに気づかれず武器を奪い先に進め(助ける方法まで教えていて、トッテモ親切)」・・もうお気づきの通り、追跡ゲームの始まりです。

さらに、小道を進むとY団委員がおもちゃの銃を持って何十秒かの間隔でゆっくり巡回しています。その手前はちょっとした広場で子供のひざほどの草が生えています。
N副長やMデンマザーが、スカウトの顔にドーランで迷彩し、チーフの鉢巻に草を差し込んで・・・忍び寄り(昔は、たぶんどこの団でもやっていた)の始まりです。「ダルマサン、コロンダ」式に近寄って(スカウトは大真面目)、最後はホフク前進。

見張りのY団委員は、近づくスカウトに気がつかないふりをするのが大変。守っているのが大量の水鉄砲。ひとりひとりが、これをこっそり奪ってさらに前に進みます。「武器を奪ったら、さらに進め。その武器で悪人をやっつけたら、そこに君たちのジュースがある」(話がムチャクチャになってきた・・)

守るは大手建設会社の部長さん。初めての息子の舍営の見学者のひとりで、大柄で見るからに怖そう!
金魚すくい風の針金の輪を額にゴムでとめ、障子紙が貼ってあり、これが破れたら負け。スカウトも同じように額に針金の輪をつけ、戦闘の開始。部長さんは「なんで、俺がこんなことしなきゃならないんだ・・」といった顔で両手に水鉄砲。

スカウトは本気で水鉄砲攻撃。そのうち、部長さん真剣になってきて「もうイカン」、ついに着ていたシャツを脱ぎ捨て、上半身裸で応戦・・・

舍営から帰ってきたある日、プレハブがひとつ教会に運びこまれました。S部長さんが、現場で使用したプレハブを寄付してくださったのです。

Sさん一家は、そのあと転勤で団を去りました。
現在の団倉庫の始まりです。

第13話 どちらがホームレス?(更新2005年7月17日)
 団本部の西に庄内川があります。庄内川は一級河川で両岸の間はおよそ300m、その中ほどにふだんは7〜80mの川が流れています。堤防の内側は家庭農園とかゴルフ練習場、近郊野菜農家の畑になっていて堤防の上から見ると、緑の野菜の中に紫蘇の紫や黄色の花が混じりあい、その中を細い道が曲がりくねりながら続いていて、のんびりした気持ちのいい風景です。ここは、2月の寒い季節でも伊吹下ろしから守られ、晴れた日にクッキーとポットに紅茶を入れて出かけると、田舎道をのんびり歩く気分になれます。


 20年ほど前の話。2月22日が近づいてくると、*BP祭をどうしょうか話し合います。また、スタンツをして、ソング歌ってちょっとゲームをはさんで・・・・(あんまり、代わり映えしないナア)
あの、堤防内の小道を使ったプログラムできないかな?それもBP祭らしく*「スカウティング・フォア・ボーイズ」使って・・・


というわけで、ちょっとした観察ハイク。小道を「スカウティング・フォア・ボーイズ」の*エルスドンの殺人事件の道に見立てたハイクにしよう。それに、計測などのゲームをいれたカブスカウトも参加できるものにして。


小道のあちこちに団委員扮するお百姓さん、絵かき、ゴルファー、酒瓶を手元に置いた犯人が麦わら帽子をかぶってねていたり、橋の下にホームレスなどが観察ゲームのために配置された中をスカウトたちが楽しそうに歩いていきます。


ゴールには、あったかいトン汁が待っています。最後尾から、セッティングした課題の回収や役を終えた団委員さんとゴールに向かって歩いていきます。橋の下に来ました。ここはホームレスに扮したH副長が焚き火をしているはずです。いました。役になりきって丸太に腰掛けて・・・・・でも二人いる・・。(ここは、一人配置のはずだけど)


ひとりは、本物のホームレスさん。なりきったH副長はまったく区別つかないほどジッと動かずにいます。焚き火をみて寄ってきたそうですがホームレスさんごめんなさい。お騒がせしました。・・・これが、67団の「BP祭ハイク」の始まりです。



*BP祭:67伝説第4話参照。

*スカウティング・フォア・ボーイズ:BPが最初斥候術として兵士のために書いたものが、英国の少年たちに読まれ仲間が集まり本の内容を実行し始めた。英国各地に広まり、更にボーイスカウトが世界に広がったもとになった本の名称。

*エルスドンの殺人事件:昔、北部イングランドの殺人事件。羊飼いのロバート少年が犯人とっすれ違った時、鋭い観察で足跡を特定し警察とともに追跡し逮捕したという話。スカウトのあるべき姿のひとつとして「スカウティング・フォア・ボーイズ」に記載。

第12話 牛舎と舎営(2005.6.24更新)
20年前のカブ隊の話。毎年リーダーは年が明けると、この夏の*舎営地探しが頭から離れません。
          
          
涼しいところがいいなあ、ということで愛知県と長野県の県境にある茶臼山(1415m)に狙いをつけ3月の終り、S副長と根羽村を訪ねました。
村内にはまだ雪が残っていました。
役場やお寺をはじめ、舎営できる場所を聞いてまわりました。
親切に教えていただくのですがしっくり来ません。
         
         
あきらめかけて、小さな食料品店で「この近くに、広い場所で屋根があって、水場とトイレがあるところありませんか?」
「そういえば、数年前にやめた牧場あるけど・・]
         
         

尋ねてみると、ホントに牧場。小さいけれど牛舎がありました。水はあるし。トイレはある。安全な緑の広場。
広いからいくら大声出しても問題なし。敷地の一部でボーイ隊と一緒にやっても、顔合わせることなく舎営ができる!
場所の名は「梨の平」地名もいい!
                 
         

それからは、H副長、S副長、N団委員と消毒用のクレゾールとスコップもって、隊集会のない休みごとに通いましたね。
元牛舎には、わら屑残っているのを、大汗かいて掃除。今はもう臭わない牛糞も少しありました。
塵ひとつない(と思う)ほどピカピカにして、母の会のお母さんたちを連れて、今日は下見。
         
         

夢いっぱいの舎営に期待で胸をふくらませ、牛舎の前に来ました。そこで、M母の会長たちの足が止まり、先に進みません。
目が点になっていました。
「隊長!お願いですから、ここだけは止めてください!」「牛舎で私たち眠ることできません!」ということであっけなく中止。
結局、ボーイ隊だけがここを野営地としました。カブ隊は茶臼山にあるキャンプ場で実施。これが、あの茶臼山の舎営の始まりです。


今でも残念な気はするけど、考えてみると、牛舎の入り口のガラスは少し割れていたし、
床のコンクリートの仕切りや、垂れ下がった天井のワラはまずかったかな?



*舎営:もとは軍隊が家屋内に休養・宿泊することの意味で使われた⇔野営・露営

第11話 燻製80本(プロジェクトX風に)
20年ほど前のボーイ隊の話である。
夏期キャンプで挑戦ハイクの始まる前ボーイ隊長は配給する食料を考えた。
軽く、栄養があり、保存が効き、スカウトが喜ぶ(だろう?)ものを集めようと思った。

それに、おやつと携帯非常食の違いも教えたいと思った。
カロリーの高いピーナッツ、暑くても溶けない氷砂糖、湯に溶かしてそのままでも使えるチューブのコンデンスミルクなど、いろいろ準備はできた。

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しかし甘いものが多く塩味が少なかった。
考えた末、たぶんスカウトが食べたことのない燻製を現地でつくることにした。
それも鱒(マス)の燻製に決めた。

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当時は現在のように簡易スモーカーなどなかった。
一斗缶に空気穴をいっぱい開けたもの7〜8個を野営地に持ち込んだ。
それをずらっと並べた。
燻製づくりはK団委員(当時ローバー隊長)とF子さん(当時団委員)に頼んだ。キャンプのプログラムに支障なく作製しなければならなかった。
なんとか鱒は手に入れた。しかし、鱒は内臓処理をしていなかった。
大急ぎで準備にとりかかった。野外の調理は大変だった。
80匹の鱒の内臓は自分のナイフでていねいに処理していった。

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鱒の脂は考えていたより多かった。
ナイフがつるつる滑り、手も足もベトベトになった。
悪戦苦闘で腹を出してそれを洗った。
ソミュール液*につけ、塩抜きし・・・(あとは略)一斗缶に吊るして燻煙した。一匹ずつタコ糸につるされた燻製はとても旨そうだった。
それは翌朝ハイクに出発するスカウトの携帯食料となった。
配給された3食分の食料は、何をいつ食べても良かったが、
到着地点に戻って来た時に非常食を一食残していることがルールだった。

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24時間後、課題を終えて大冒険をした気分で帰ってきたスカウトは興奮して
大変だった。
燻製について感想を聞いた。燻製は大好評だった。ほとんどのスカウトが初めての
鱒の燻製は、大切に何回かに分けて食べたという。
なかでも味に感激したS隊員は、友人の鱒の皮までもらって食べた。
しかし、この燻製の配給は一年で中止となった。
余りにも、作製に手がかかり過ぎた。

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それから20年過ぎた。後輩たちは毎年11月の教会バザーで、鱒でなく、定番となった手羽先の燻製をつくっている。
彼らはその昔、ハイクで鱒の燻製が配給されたことは知らない。

 *ソミュール液:燻製づくりの塩漬け法のひとつで、10〜15%の食塩水のこと。
数時間から2,3日肉や魚を漬けたあと塩抜きをしてから燻煙する。
食塩のほかハーブなどを入れることがある。

第10話 かめ仙人が空を舞う(2005年5月4日)
20年ほど前の話。今とちがって年度の始まりは4月でした。4月に上進したスカウトは夏の舍営やキャンプを経験すると、
かなりスカウトは体力に自信をもちます。秋が過ぎて年が変わると1月。
1月は当時1月1日の初ミサ(これは、基本的には全員参加)で、こちらは何時かお話します。
もうひとつ当時は恒例だったカブ隊のたこ凧揚げです。
12月のクリスマス会が終わると、全員が1月の凧のデザインを工夫し、組ごとに互いに秘密にしました。
そして、最後は家に持ち帰って家族で仕上げです
こんな具合ですから、隊リーダーも秘密ではありませんが、スカウトがびっくりする顔が見たくて、
今年はどんな凧を作るか悩みます。
ある年は大きな凧、ある年は変形の箱型の凧(を作ったリーダーがいて、ちゃんと揚がりました)、
ある年は風がなくても揚がる凧等など。

毎年、揚げる場所は決まって、庄内川の堤防の内側の広い緑地です。
スカウトハウスから2kmを全員、自分の凧をもって緑地に歩いていきました。
堤防の内側は、じつは凧揚げには不向きで、高い堤防は風を遮断してしまい、あまり風がないのです。

まだテレビゲームなどが無い頃でようやくスーパーマリオが登場し、「少年マガジン」「少年ジャンプ」などの漫画週刊誌の全盛でした。
なかでも「ドラゴンボール」は大ブームで、孫悟空、ブルマ、クリリン、ヤムチャ、ピラフ、ピッコロ大魔王・・・(
うーん懐かしい)などのキャラクターが
当時それはすごい人気でした。なかでもかめ仙人は秀逸でしたね。そうだ、かめ仙人を凧にしよう、スカウトが驚くぞ!                           

スカウトの凧はデザインを重視するグループと軽いポリ袋などで揚がることを重視するグループに分かれます。
楽しみな一日でした。高く揚がる凧、揚がる前にバラバラになる凧、クルクル回るだけの凧など
いろいろな凧揚げの後は、スカウトハウスに戻り、餅つきです。
こうしてカブ隊の1月は終わりました。
ところで、かめ仙人は揚がったかって?確か揚がったはずですが・・

最9話 ハンキの思い出(2005年1月23日)
もったいぶって、ハンキとしたのは訳があります。ボーイ隊より上の年代を経験した人なら、ウンウンとうなずくところです。
ボーイスカウトでは二つのハンキがあります。ひとつは、班旗。こ
れはカブ隊だと組旗と呼ばれる、グループのシンボル旗です。もうひとつは、半旗*。

     ・・・今日はこちら(後者)の話。

「国旗掲揚」のとき、少しでも国旗が一番上までいかずに下がったときは大変です。
リーダーは小声で強く、少しあわてて「ハンキ、ハンキだ!」
「???」入隊したばかりのスカウトには、何のことか理解できません。
半旗は、国旗で弔意を表すときに使われる掲揚法で、ご存知のように一度上まで揚げて、それから掲揚柱の途中まで下げて固定します。
最近では、レーガン元大統領の葬儀の日、アメリカはもちろん、カナダの空港においても各国の国旗が半旗になっていました。

・・・話を67団の話に戻します。

67団のスカウトは、これまで2度、団で半旗を掲げました。いちどは、昭和天皇が崩御されたとき、もう一度は、これよりずっと前の話です。
1982年頃、当時のカブ隊長は早川昭二隊長でした。小柄でがっちりしたひとで、最近では、あまり見られない(タイプで)、
当時のデンマザー(現在はデンリーダーと呼ばれる)が少々近づき難い厳格な隊長でした。
支えていたのは、やさしい井手上副長(故人)でした。わたくし達は、質素と厳格さとやさしさを学びました。
その早川隊長がカブ隊長を退任しておよそ一年後、交通事故で亡くなりました。団や隊集会で、その時初めてスカウトに半旗の意味を説明しました。
国旗を掲揚するときにみんな泣きました。名古屋67団の半旗には、そんな悲しい思い出があるのです。

*半旗  
国旗掲揚のとき、弔意を表すために一度一番上まで揚げたのちに、旗の短辺か対角線程度まで下げて固定する。
掲揚柱の1/3程度下げる方法もある。半旗は国際的なマナーのようである。

第8話 トナイク神父とチーフリング(2004年12月20日)
名古屋67団のチーフリングは、自慢の逸品です。外国スカウトや他県から集まる日本ジャンボリーや県大会などでは、
スカウト同士や海外リーダーなどとチーフリングやワッペンほかの交換をします。言葉が判らなくても「チェンジ!チェンジ!」
ちょっと勇気があれば、珍しいチーフリングなどを交換してコレクションできます。
名古屋67団のチーフリングはとても人気があり、運が良ければ、このチーフリングひとつでチーフリング二つ以上と交換できます。
あるジャンボリーではチーフリングひとつで、外国スカウトと、チーフリングとワッペンとナイフの三つと交換したスカウトがいました。
何故かというと、67団のチーフリングは特注の七宝焼き*でできているのです。七宝焼き製と言うことだけでは、他にもあり珍しくありませんが、
67団のチーフリングは特別です。実はダークレッドの七宝焼にPX の銀色の文字がはめ込んであり、
その両脇にユリの花がデザインされています。
このデザインには意味があります。PX とはギリシャ語で「キリスト」というそうです。
そう言えば、ローマの遺跡 カタコンベという地下の教会と墓地の石棺にもPX の文字が彫られているのを見たことあります。
もうひとつのユリは、スカウト章がユリであり、キリスト教にとっても「野のユリ」として聖書にでてくる花です。これに団名が入っています。
このチーフリングをデザインしたのが、ドイツ人のヨゼフ・トナイク神父です。
トナイク神父は、五反城教会を創立したホンナッケル神父と共に赴任した助任神父で、
いつも黒い上着をきちんと身に着けた長身で面長の静かな方でした。トナイク神父は、五反城教会を愛し、
ホンナッケル神父さまが亡くなられたあとも、主任司祭としての転任を断り、助任神父として生涯を終えました
(1994年86才で死去し、多治見修道院に眠る)。
トナイク神父は設計デザインに優れた才能をもち、五反城教会と聖堂内をデザインされた方だそうです。
もう一度、チーフリングをじっくり見てください。ヨーロッパの香りのするすばらしいチーフリングだと思いませんか?
あらためて希少価値のある67団のチーフリングが好きになったでしょう?
 
*七宝焼 
もともと紀元前エジプトにあり、インド、中国、朝鮮を経てわが国に伝来したとされる。その美しさから仏典の七つの貴品に似た
ことから七宝焼とよばれる、銅版や銀板に独特の釉薬をのせて800〜900℃で焼いたもの。

第7話 青川カラス騒動(2004年10月20日)
 - 今回は、ボーイ隊の伝説 -
鈴鹿山系は濃尾平野の西に連なる標高1100〜1200mの低山で、名古屋市から望むと日が沈む、ほぼ真西に位置する山です。
それぞれに個性的な山が多く低山ながら平野からいきなり立ち上がる山は人気があります。
そのなかの藤原岳の北、治田峠から員弁川いなべがわの源流となる青川が流れています。
1990年頃の春、この青川の上流でボーイ隊はキャンプをしました。資材を、みんなで担ぎ上げました。川幅は数メートル、水深はひざ下くらいの小さな川で、
両岸に山のせまる、猪狩りのハンターか渓流釣り以外誰も来ない静かな川原でした。
設営を終えた午後、ボーイ隊にのんびりとした静かな時が流れていました。
“ 突然、ひげのH副長の怒鳴り声 ”
見ると、石を持ったH副長が川原を大声出しながら駆けていきます。その先にはカラスが肉の入った包みをくわえて飛立とうとしています。
肉は大事な夕食の材料です。必死のH副長の努力と重過ぎる肉のせいで、カラスは低空飛行のまま、空に上れずあきらめて落としていきました。
肉は、その夜、みんなの食欲を満たし安らかな眠りにつきました。
「カア、カア」翌朝カラスたちの声で目が覚めました。夕べのうちに、カラスに備え食料はすべてネットに入れて川に沈めてあります。
「ア〜ッ」またしてもH副長。飛び起きたみんなは信じられない光景を目にしました。沈めておいた果物、野菜、ヨーグルトなどはすべて
カラスに喰 われ、残ったのは缶詰だけ。負けました。

     ■教訓 「カラスはいつもどこかで見ている。馬鹿にするな!」
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